3月1日、八戸中央高校を卒業しました。
思えば、この四年間はとても充実していた。
私は様々な事情があり、中学卒業後高校に進学することができなかった。
16歳で社会人として働き始めたが、忙しい日々の中で次第に中学の頃の友人との関係も
薄れていき、更に社会一般の普通とは違う生き方に劣等感を抱くようになっていた。
そんな日常がとてもつまらなく感じ、いろいろな悩みを抱え込み、時には生きることさえあきらめようとしたこともあった。
そんな中、私に転機が訪れた。成人式の日かつての友人たちと再会した。
友人たちは皆思い思いの道を歩んでおり、普通の生活をしていた。そんな友人たちと自分の生活を
比べてしまい、中卒という自分へのコンプレックスと疎外感がより強くなり、自分がとても
惨めに感じた。それと同時に高校卒業の資格を取りたいという思いがより一層強くなった。
それからは高校受験の準備に取り組んだ。中学校に連絡したり、苦手な科目を克服しようとした。
特に苦手だった数学は中学時代の定期考査の点数が高くて12点と悲惨だったため重点的に勉強した
どこから躓いているのかを特定した結果、小学校3年生の分数から躓いていることが分かった。
そして、受験勉強をしていて気づいたことがある。それは「自分は勉強が苦手なのではなく、苦手だと思い込んでやってこなかっただけ」なのだと気づいた。
この気づきによって、なんでちゃんと勉強してこなかったんだという後悔と同時に、自分もやればできるんだという自信がわいてきた。
このおかげで勉強に対する苦手意識はなくなり、楽しいとすら思うようになった。
そして令和3年。ついに入学することが決まり
私のもとに合格通知書が届いた。この瞬間から私の高校生活が始まった。
しかし、入学式が近づくにつれて2つのある不安が大きくなっていった。一つ目は、
「21歳になる私を周りの生徒たちが受け入れてくれるか」というもの。
二つ目は、「仕事と学校の両立ができるのか」というものだった。
特に一つ目に関しては、高卒を取りたいという思いよりも「21歳の高校生という普通とは違う肩書に、周りから変な目で見られないか」という不安のほうが大きかった。
そんな不安を抱え私は同年4月、入学式を迎えた。それはちょうどコロナ禍の時期で、
名前を呼ばれても返事をしない、国歌や校歌も歌わないという9年前の中学の記憶とは違う状況に
すごく驚いたことを覚えている。
そして、入学式が終わり翌日の対面式。私の一つ目の不安は一気に吹き飛んだ。
皆年齢差などお構いなしに絡んできた。先輩方や先生方も優しく声をかけてくれて、一人心細かった私にとってこれ以上うれしいことはなかった。
その後授業が始まり最初の登校日。夜に咲き誇る桜が私を出迎えてくれた。
夜の学校で桜を見るのはとても新鮮だった。
教室の風景、並ぶ机や黒板など9年ぶりの学校は何もかも懐かしかった。
登校すると午前部の人たちが黒板に夜間部へのメッセージが書かれていて
とてもうれしかった。
学校で出る給食はとてもおいしく、特に中学以来の学校牛乳は懐かしいとともにすごくおいしかった。
その後は友人もでき、カラオケや海に行ったりと楽しい時間を過ごすことができた。
さらに、特に仲が良かった先輩の影響で趣味も増えた。
その趣味は、自作PC。
趣味が増えたことで私の生活は以前より充実したものになった。
さらに、PCを持ったことでできることが増え、視野が広がり知識も増えたことで
人との会話も弾むようになった。
中学卒業後の華のない、しかも一度は諦めかけたこの人生にまさに華が咲いた瞬間だった。
また、パソコンに興味を持った結果、情報系の資格取得にもチャレンジするようになり、
実際にビジネス文書2級、速度2級、情報処理2級を取得することができた。
この出会いには本当に感謝している。
1年次のクラスの人数は6人だった。
6人という人数は夜間部の中では多いほうだった。
しかし、価値観の違いや病気などで、1年目は2人、2年目は1人と減っていき、
2年次は半分の3人になった。休む人も増え、先生との1対1での授業も多くなった。
この3人はいずれも何らかの仕事やバイトに就いている。
そしてこの社会人が集まったクラスは特に社会の先生に大変喜ばれた。
というのも、税金などの話や政治などの少しデリケートな話題も気兼ねなく話すことが
出来たり、働く上での愚痴や悩みを共有したりすることができるからだそう。
2年次では修学旅行が印象に残っている。行先は京都、奈良、大阪だった。
教科書やテレビなどでしか見たことのないものを間近で見ることができた。
神社仏閣に全く興味がなかった少年の頃ではなく、ある程度理解が進んだ大人になってから
行くことができ、非常に有意義な経験となった。
そして、3年次。ここで印象に残っているのは生徒会選挙だ。
先生たちからの推薦で立候補し、信任投票の結果夜間部の生徒会長に就任した。
私は人前に出るという機会がほとんどなく、正直不安でいっぱいだった。
しかし、副会長や午前午後の生徒会役員、先生方、更には会社の人たちも応援してくれた。
たくさんの人たちに支えられた結果、レクリエーション大会や対面式、体育祭、そして文化祭と
たくさんの企画を乗り切り成功させることができた。
人前に出る事にも慣れて、積極的に行動するができるようになったことは自分にとって大きな成長だった。
そして、この1年の任期の中で学んだことが2つある。
一つ目は、「積極的に動くこと」 これまでの私は非常に消極的で、とにかく目立つことはやりたくないという人間だった。しかし、生徒会長になってからは、年上として社会人として、できる限り皆の手本になるように心がけるようになった。
二つ目は、「積極的に行動する」と「無理して我慢して行動する」は違う、ということ。積極性を意識するあまりケガをしたり、空回りすることもあった。それをこの身をもって痛感した。
4年次は一言で表すと資格所得の1年だった。
秋以降は特に忙しく、遅いときには深夜2時ごろまで勉強をしていたため
毎日仕事も勉強もつらかった。しかし、その甲斐あって簿記などいくつもの資格を取得することができた。
努力の大切さとうまくいったときのうれしさを知ることができてよかった。
クラスメイトも4年生の後半あたりから高校4年間の疲れが限界に達したのか遅刻や欠席が少し増えた。それでもこの4年間高校と仕事を諦めることなく両立して来れたのはすごいことだと思う。
高校生活全体で学んだことは「後悔」
正直私は、この高校に入って後悔した。たくさんの後悔をした。
しかし、それは悪い後悔ではなく良い後悔をした。
後悔は自分の行動の末にあり、どんな選択をしようと、どんな行動をしようと必ず後悔はする。
こうすればよかった、ああすればよかったという後悔のもとで、私はここまで成長することができた。もちろんこれは自分だけではなく、先生方や周りの方々が後悔ありきで私を受け止めてくれたことも大きく成長できた要因になった。この学校でたくさんの笑顔と後悔をもらった。
この後悔と経験を卒業後も忘れずに生かしていきたいと思う。
今、こうして高校生活を振り返ってみると、一般の「普通」とは違った楽しさがあり、自分なりの
普通を見つけることができ、この4年間充実した毎日を過ごすことができた。
高校4年間はあっという間だったが、その濃い時間の中でいろんな人と交流したおかげで
視野が広がり、人として成長し、そして何より将来自分が何をしたいかを明確にすることができた
このブログを書きながら高校生活のことを思い出すにつれて、改めてこの年齢でこの学校で
高校生活を楽しく過ごすことができた良かったと思う。
↑小学校6年生から使い続けた筆箱。この四年間で一気にボロボロになった。
最後に、私がこの4年間このように前向きに取り組むことができたのは
自身の努力や友人の助けだけではなく、先生方や周りの方々、更には会社の方々の
協力があったからに他なりません。
私はたくさんの方々の助けを借りて日々を過ごしてきたことを改めて実感した。
皆様本当にありがとうございました。
私はこれからも努力を続け、これまでいただいた様々なご恩を一つ一つ返していきたいと思います。
高校卒業したシミズ